背負わせたのは誰?


2010年秋、BRF明和にてコスモバルク


2003年から2011年、自分ははコスモバルクを応援し続けた。
こう書くと案外あっさりなのだが。
ちょっと、北海道の人間として、この大好きな馬ついて書いてみた。。

コスモバルクアイルランドで現役復帰を目指し、出走を目前として屈腱炎で引退した。


ホッカイドウ競馬外厩制度の看板を背負いこみ、競走馬としてスタートを切った彼は
「道民の期待」なんていう厄介なものを背負わされた現役だったと思う。
自分の地元だが、北海道という土地の人間は、比較的に熱しやすく
冷めやすい傾向にある。日本ハムファイターズの熱狂やコンサドーレ札幌のファン減少がまさにそれだ。



「どうも旭川や札幌でやってる地方競馬の馬がJRAに殴りこみをかけて、勝ったらしいぞ。」


百日草特別。道内の競馬を知ってる人間の耳に届いた。


コスモバルクっていう馬、中央の重賞勝ったらしいぞ。皐月賞とかに期待が持てるらしい。」


ラジオたんぱ二歳S。道内の、競馬を知らない人間の耳にも届いた。


「おいバルクがまた勝ったぞ!!皐月賞、ダービーも勝てるかもしれないぞ!!」


弥生賞。いつの間にか、コスモバルク=北海道として、JRA=本州に挑戦状を叩きつけ勝つという構図になっていた。



自分も例外ではないが、北海道の人間は、地元を好むくせに本州に対してコンプレックスがある。
開拓地である気質がそのまま遺伝しているなんていう人も言うくらいだ。別に悪いとは思わないが。
サラブレットの産地は北海道が主流なんだから、JRAの競馬で活躍する馬はみんな北海道出身なのに
コスモバルクだけ特別視されるのは変な話かもしれない。ただ「ホッカイドウ競馬所属」という
背負わされた看板が、自分たち北海道の人間を熱くさせた。


自分は熱くなりながらも、少しだけ競馬を知っている、という目でこの熱を追いかけた。
G1を勝つということの難しさも、素人ながら知っていたと思う。だが、一心不乱に応援していたとも思う。
迎えるは2004年の皐月賞、今でも忘れない。札幌は、天気のいい春の陽気。
夢と期待と不安抱えて、ゲートをくぐった札幌競馬場の場外馬券売り場。
ライトなファンは物珍しさを感じながら、往年の馬券オヤジどもはコスモバルクに対して冷めた意見を言いつつも
どこか期待した顔の、独特の雰囲気。あの空気を馬が走っていない札幌競馬場で感じるのはもはや無いと思う。
あの場に居合わせたことは、競馬ファンとして、とてもいい思い出になった。例えようがない経験。


結果は今更語る必要は無いと思う。それ以降の現役に関しても語る必要はあまり無い。
一つ言うなれば、道民の熱はやっぱり冷めた。菊花賞までは盛り上がりを見せた。
だがそこまでだった。その後は、シンガポール航空インターナショナルカップで一瞬持ち直すもそれまでだった。


自分が競馬好きだという話を、競馬に興味のない北海道の人間に話すと、こんな話が時々聞かされる。


「俺はコスモバルク単勝を○万円、ダービーで買ったんだ。当たらなかった。」
コスモバルク、昔応援してたよ。勝てなかったけどねぇ。今どうしてるの?」


この言葉を自分は何度も聞いた。


「僕も単勝買いました。ダービーは残念でした。セントライト記念っていう菊花賞のトライアルレースで勝ったんですよ」
「まだ走ってるよ、全然勝てないけど。大きなレースでは出走枠つぶし、なんて言われて一部のファンから疎まれてる。」
「一度引退したけど、今は現役復帰を目指してアイルランドに行ったよ。もう10歳なのに頑張ってる。」


寂しい気持ちでこの言葉を自分は言った。
一部の熱狂的なファンは、応援し続け、馬券を買いつづけ、そして縋るように祈り続けた。
祈ったのは彼の無事、彼の勝利、彼の引退、いろいろなものを祈り続けた。
そして2011年8月、彼の現役は今度こそ終わったんだろうか。


競馬界のみならず、北海道という土地にブームを巻き起こしたコスモバルク
「お疲れ様」というよりも「よくやりきったね」という気持ちで褒め称えたい。
彼を応援していて、僕の競馬ライフに得るものはとても大きい馬だった。
無事に帰国して、BRF明和でまた再開出来る事を楽しみに。



※「道民」という目線から「コスモバルク」を綴ってみました
陣営に関して、思うことはままありますが楽しませてもらったのは言うでもありません。応援楽しかったです。